きょうこのことを思う

日本人は他者に関心がなくなったと言われるが、まだまだそんなことはない、十分に思いやりをもっている、と感じた話

①旅先にて、駅へ向かう途中でのこと。
私の目の前で、女性が顔から転倒し、しばらく動かなかった。わずかだが出血もあった。
様子を見て女性に声をかけると、近くのお店の人や通りかかった人が集まり、女性を近くのベンチまで介添したり、血を止めるティッシュを差し上げたり、女性に状態を聞いたりと、手を差し伸べてくれた。
集まってくれた人たちは、私が救急車を呼ぶと、旅人の私を気遣い、後は任せてほしいと言って、私をその場から離してくれた。
救急車到着はその後。駅へ向かう途中、対向車線に救急車を見た。
あの方は大丈夫だろうか。私が見る限り大事はなさそうだったけれど、その後どういう顚末を迎えたかはわからない。

②交通機関には、上部に荷物置きがある。
重い荷物を持っていると、持ち上げるのが大変。
持ち上げようとすると、ビジネスマン風の中年男性が手助けしてくれた。
目的地到着後、男性は自分の荷物と私の荷物を降ろし、微笑みを残して去って行った。
その方に、お礼を言いそびれてしまった気がするな…大変助かりました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

我が子はこの上なくかわいいものらしい。

自分の一部から生まれたから。


自分の保護下にあるため、

生かすも殺すも自分次第、

最終的にはなんでも言うことを聞き、

自分に染まるから。

親の生き方から子どもへ生き方を指南したり(自分の後悔も込めて…愛情から)

逆に、「してはいけない生き方」も言う。

そこに、親の愚痴が入る。

子どもは、最終的にはなんでも親の言うことを聞き、親に染まるものだから、

親の愚痴はそのまま心に染み入っていく。

そして、大人になった子どもの生き方に悪影響を与える。

その最たるものがAC(アダルトチルドレン)じゃないか?

とはいえ、そこまでじゃなくても、

親は子どもに愚痴をこぼしたがるもののようだ。

そりゃそうか。

どんな話も聞いてくれて、味方になってくれるのだから。

(私の場合は父がそうだった。
父が持っていた夢は叶わなかった、とはっきり聞かされた。
父は、もし自分が夢を叶えていたら、私は生まれていないだろうと言ったが、
私は、父が夢を叶えるなら(かつそれで幸せになるなら)
私は生まれてこなくても構わない、と伝えた。
今もそう思う。)

だが、子どもに愚痴をこぼすのは、

自分を受け継ぐ子どもを生きられなくすること。

我が子を愛するならば、

我が子を自分のものだと思うならば、

自分がかわいくて大切でたまらないならば、

親は、大人は、

絶対に子どもに愚痴をこぼしてはいけない。



私は、

我が子の前では幸せな顔でい続けるぞ

と誓っているが、

親たるものの誘惑にかられてしまうかもしれないとも思っている。

この内容は、私の心の備忘録だ。

彼は(彼女は)勝手。
自分のことしか考えていない。

そういうものです。



彼(彼女)とは、お似合いの似た者同士。

あなたこそ勝手。

「好きな人」というのは

「(私が)好きな人」。

自分のことを考えているじゃないですか。

自分だって勝手なのだ。

そんな彼(彼女)のことを、これまでは許してきた。

勝手でもよかったんじゃないか。



それなのに、許せなくなった。


当たり前のことなのだろうが、

彼は(彼女は)勝手。
自分のことしか考えていない。

と思うようになったら、

彼・彼女が変わったのではなくて、

自分の心が変わったのだ

そして、彼・彼女に耐えられなくなったら、

別れどき。

残酷だけれども、仕方ない。

人の心は変わるものなのだから。

それこそ、勝手。



勝手な人は得なのかもしれない。

いや、得か。「勝つ手」だもの。

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