きょうこのことを思う

※神経質すぎるかもしれないが、熊本での震災を受けて、
この記事は本来UPしようとした日から遅らせて今日にした。
大切なものを震災で失った人たちの目に触れることで、悲しみを強くさせるかもしれないと思ったからだ。


決してそういうつもりではないことをことわっておきます。


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私は今年の4月に、
自分の部屋の本を9割、CDを8割、洋服を半分捨てた。
段ボール3箱分のモノが家から消えた。

それで特に困ったことはない。
むしろ、いいことが多いと思う。


❶家の中をきれいに保とうという気持ちが強まった。
単純に掃除がしやすい。
そもそも、散らかって見える原因はものが多いことだし。

❷お金が貯まるようになった。
ものを捨ててみて、ものがものを呼ぶのだとわかった。
あるものを買ったら、関連して別のものが欲しくなる。
壊れたら、買い換える。
ひとつものを買うと、連鎖的にものが増えていく。
ものを捨てることで連鎖を断ち切る。
つまり、新しくものを買わなくなる。
そして、お金の使い道を考えるようになる。
結果、お金が貯まる。


極端に走ればミニマリストだけれど、
そこまでせずとも、買うものを選ぶようになる。

そうすると、世の中の経済活動はどうなるのか…
経済を回すのは消費なわけだから…
ベブレン効果で、高級感を売りにしたものが売れる?
飲食やサービスといった、後に残らないものが
売り出しもののメインになる?



ところで「多くのものを持たない」ということも、災害対策の一環ですよね?
ものに埋もれて逃げられない、ということを避けられるのですからね?

知人がそう言っていたことを思い出し、思ったことを書いてみる。

宇多田ヒカルは天才。
たくさんの歌手がカヴァーする「First love」
自分の初恋を詞にしたらしい。(相手は年上だったのかなあ)
あんなにも官能的で、かつ少女っぽさが見える。
曲も合っている。

最近評価がよくないみたいだけど、浜崎あゆみも天才だと思う。
あんなに繊細な詞を書ける人はそういない。
あんなにおしゃれで幻想的なPVもそうそうない。
「愛の反対は無関心」ということで、まだ名前が出てくるだけいいのかなあ。
誰かに詞を提供したらいいのに、とも思う一方、
あの詞を自分のものにできる人がいるんだろうかとも思う。


それでも、コンスタントにいいものを出し続けるのは至難の業。
作品は自分の内面にあるものの表現。
いつかは枯渇するか、同じようなものになったりするのは必至。
天才でさえそうなのだから一般人の私たちが「ネタ切れ」や「質の低下」をおこすのはなおさら。


一定の質を保った状態で、人に何かを提供するのは非常に難しい。
そのことを可能にする数少ない方法が「じっくり時間をかけて準備する」ことではないかと思う。
世の中、もうすっかり待てなくなってしまった。
待って逃げてしまう大事なものなんて、実はそんなにない。
仕事で時間をかけすぎるのは確かに顧客を逃すけれど、
「巧遅は拙速に如かず」の「拙速」が、今、あまりにもひどい。

お金の本によく書いてある「消費」と「投資」と「浪費」について思う事。 : 習慣が私を変える!~まいにちの小さな積み重ね~

お金の本には、お金の使い方とは「消費・浪費・投資」の3パターンがあると書いてある。
(私はこれをある人から聞いた。どういうことかは上記ブログをお読みください。)

結局のところは自分次第だ、というのが上記のブログ。
さらに、私は、あたりまえだけれども「人それぞれ」だということを付け加え、
この記事で言っていることを強調しようと思う。

たとえば、車を夫婦で2台持っている人。
一般的には…夫婦が1台の車に乗ればいいのだから「浪費」。
では、
この夫婦が公共交通機関の通らないところに住んでおり、車でないと買い物にも行けない状況にあれば
車2台は「消費」の一種になるのか?
あるいは、夫婦ともに外で稼いでいて、それぞれ勤務地が離れている場合は
車2台が「投資」にならないか?

服の場合ならもっと顕著。
暑さ・寒さ・けがをしのぐ点で「消費」。
基本的に必要最小限を超えがちだという点で「浪費」。
商売等において、身ぎれいにすることで他の人からの信頼感を高めるという点で「投資」。


そもそもお金は、使われてはじめて生きるもの。
お金を使うということは、お金を生かすことであり、この資本主義経済を動かすこと。
たくさん稼いだところで、お金を生かす場がなければ、
お金は「ものの数にもはいらないモノ」(岩井克人)と化してしまう。
「消費・浪費・投資」と唱える人に限って、ほかの人のお金の使い方に干渉する傾向にあるのでは?
お金は確かに、合理的かつ建設的に使われるべきもの。
しかし、その判断は人それぞれで、
各人が自分の判断でお金を使い、社会を動かしているのだから、それでいいじゃない。
他者のお金の使い方に干渉していたら、資本主義経済がいびつなものにならないだろうか。
「消費・浪費・投資」を、人に干渉する時に用いる言葉にするんじゃないよ、と言いたい。

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