きょうこのことを思う

2016年04月

知人がそう言っていたことを思い出し、思ったことを書いてみる。

宇多田ヒカルは天才。
たくさんの歌手がカヴァーする「First love」
自分の初恋を詞にしたらしい。(相手は年上だったのかなあ)
あんなにも官能的で、かつ少女っぽさが見える。
曲も合っている。

最近評価がよくないみたいだけど、浜崎あゆみも天才だと思う。
あんなに繊細な詞を書ける人はそういない。
あんなにおしゃれで幻想的なPVもそうそうない。
「愛の反対は無関心」ということで、まだ名前が出てくるだけいいのかなあ。
誰かに詞を提供したらいいのに、とも思う一方、
あの詞を自分のものにできる人がいるんだろうかとも思う。


それでも、コンスタントにいいものを出し続けるのは至難の業。
作品は自分の内面にあるものの表現。
いつかは枯渇するか、同じようなものになったりするのは必至。
天才でさえそうなのだから一般人の私たちが「ネタ切れ」や「質の低下」をおこすのはなおさら。


一定の質を保った状態で、人に何かを提供するのは非常に難しい。
そのことを可能にする数少ない方法が「じっくり時間をかけて準備する」ことではないかと思う。
世の中、もうすっかり待てなくなってしまった。
待って逃げてしまう大事なものなんて、実はそんなにない。
仕事で時間をかけすぎるのは確かに顧客を逃すけれど、
「巧遅は拙速に如かず」の「拙速」が、今、あまりにもひどい。

お金の本によく書いてある「消費」と「投資」と「浪費」について思う事。 : 習慣が私を変える!~まいにちの小さな積み重ね~

お金の本には、お金の使い方とは「消費・浪費・投資」の3パターンがあると書いてある。
(私はこれをある人から聞いた。どういうことかは上記ブログをお読みください。)

結局のところは自分次第だ、というのが上記のブログ。
さらに、私は、あたりまえだけれども「人それぞれ」だということを付け加え、
この記事で言っていることを強調しようと思う。

たとえば、車を夫婦で2台持っている人。
一般的には…夫婦が1台の車に乗ればいいのだから「浪費」。
では、
この夫婦が公共交通機関の通らないところに住んでおり、車でないと買い物にも行けない状況にあれば
車2台は「消費」の一種になるのか?
あるいは、夫婦ともに外で稼いでいて、それぞれ勤務地が離れている場合は
車2台が「投資」にならないか?

服の場合ならもっと顕著。
暑さ・寒さ・けがをしのぐ点で「消費」。
基本的に必要最小限を超えがちだという点で「浪費」。
商売等において、身ぎれいにすることで他の人からの信頼感を高めるという点で「投資」。


そもそもお金は、使われてはじめて生きるもの。
お金を使うということは、お金を生かすことであり、この資本主義経済を動かすこと。
たくさん稼いだところで、お金を生かす場がなければ、
お金は「ものの数にもはいらないモノ」(岩井克人)と化してしまう。
「消費・浪費・投資」と唱える人に限って、ほかの人のお金の使い方に干渉する傾向にあるのでは?
お金は確かに、合理的かつ建設的に使われるべきもの。
しかし、その判断は人それぞれで、
各人が自分の判断でお金を使い、社会を動かしているのだから、それでいいじゃない。
他者のお金の使い方に干渉していたら、資本主義経済がいびつなものにならないだろうか。
「消費・浪費・投資」を、人に干渉する時に用いる言葉にするんじゃないよ、と言いたい。

江戸時代にタイムスリップして
事件の謎を解く!

手がかりを探したり
うわさ話をこっそり盗み聞きしたり
怪しい人を問い詰めたり
もちろん推理も行う!
謎そのものは簡単だけど、
なかなかスリリングで楽しめる。



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人を愛するとは、
ある人のために何かをすることや何かを与えることに喜びを感じること。
すなわち、
この人のためなら損を損と思わなくなること。


人を愛することから、しばらく遠ざかってしまった。

お金持ちになりたければ、お金持ちと仲良くなる。
結婚したければ、同性の既婚者とつるむ。
関係ないようでいて真理をついている。


付き合う人には少なからず影響されるもの。
影響されれば行動が変わる。
待っていて望むものを得られることは少なく、
望む未来は自分で掴みとらないと手に入らない。


逆も然り。
悪い仲間と付き合うな、というのもそういうこと。


仕事や学校だと、嫌いでもうまくやらないといけないけれど、
付き合う人を選んでいい時は
付き合う人を選ぼう。
嫌な人は切っていい。

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