きょうこのことを思う

2017年02月

先日、チョコレートの陰には児童労働があるという

知る人はきちんと知っている話を書いた。

この話も紹介いたしました↓
http://acejapan.org/childlabour/report/chocolate   



だが

児童労働の中にある子どもたちは不幸で

そうではない子どもは幸せであると

本当に言えるのだろうか。


私の知っている小学生の話。

宿題がいっぱい出る

宿題を忘れたら、昼休みは教室から出られずずっとお勉強

チョコレート農場で働いている子どもに置き換えるならば

カカオの実をいっぱい採らされる

ノルマが達成できなかったら、農園から出られずずっと実採り

ということか。


…あれ??


やっていることが違うだけで、

学校通いの子どもも、農場で働く子どもも、大して変わらない?

確かに、学校に行けば知識が授けられる。

授けられた知識で、いろいろなことができる。

だが、学校に通う子どもにとって、

時間を費やして得たものがどれだけ実社会で生かせるか。

…それは、子ども以上に、大人の私たちがわかっていることでは?

そうであれば、学校も、児童が労働していないというだけで

児童の心境としては大して変わらない。

何より「学校が休みでうれしい」という気持ちを

多くの人が持っている時点で、見えているじゃないですか。

学校に通う子どもの「テストの点数」が

チョコレート農場では「採った実の数」ということ、それだけ。



本当の不幸せは

学校に行かずに働かされる

ということではなくて

自由を奪われる

ということではないか。



労働に自由を奪われる子ども

教育に自由を奪われる子ども

案外、どちらも似たようなものなのかもしれないと考えてしまう。

こんなことニュースでは絶対に言わないけれど

東北は、東日本はもう住めない

とのこと。

東京からこっそり逃げていく人もいるほど。



故郷・長崎も放射能の汚染に遭い

70年以上経った今、

長崎市には放射能の被害に苦しむ人が今もいる。

だが、長崎は復興した。

長崎市出身の友人に健康被害に悩んでいる人はいない。

私も含めた長崎市外の人に、

放射能の被害にはほとんど出ていない。

今、長崎は放射能よりもPM2.5を気にしている。

昔を知る人は、

長崎ではすっきりとした青空を見られなくなった

と口をそろえて言う。

車には妙な細かい粒子がびっしりとつく。



東は放射能に

西はPM2.5に

汚染される日本

「解毒すれば大丈夫」

ではなく

「解毒しないとやがて異常死」

なのかもしれない。


解毒で完全に安心というわけではないが

解毒の必要性は絶対にある。

以下、解毒について書かれている。
https://www.google.co.jp/amp/blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/f851004399175d161ea63ab62499786c%3Famp%3D1



他にもいろいろあったが

共通することは

解毒食は昔ながらの日本食

であること。

逆に避けるべきは砂糖・乳製品・肉

であること。

70年前の長崎原爆でも同じ対応がなされたとのこと。


私たちに砂糖・乳製品・肉を好きにさせて

こういう災害を起こさせて…

何者かが私たちを絶滅させようとしているのだろうか。

昔の人と今の人はどちらが長生き?

戦国時代の食事
https://xn--3kqy8bi0yov0d.com/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%A3%9F%E4%BA%8B/

健康なのは昔の人だろうと思う。

ただし、

健康をすべての人が手に入れられるわけではなかった。

多くの人が乳児期に死んでいただろうし

感染症も多かったし

水だって、生水で飲めるものがどれだけあったか。

今、なんとなくやっているかもしれない七五三

子どもがその歳まで生きたことを祝う行事だった。

そのことからも、

いかに生き延びることが難しかったかわかるでしょう。


現在は

生まれた人が7歳までに死ぬなんてことはほとんどない。

一方、

老いて、長く病院のベッドで暮らす人がたくさんいる。

その予備軍:薬を併用する方。

それでも、この方達は生きている。

生きていられる。


健康なことを重視するか。

生きることを重視するか。



少なくとも私は

老いて病院に世話になる人間には絶対になりたくない。

病院に世話になるくらいなら

早くこの世からお暇して

浮いた病院代を私のわずかな資産を大切な人にそっくり使ってもらいたい。

あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。

それが人間にとっていちばんだいじなことなんだからね。
   

一般的に道徳を習っていれば、

そんな当たり前のことが大事なのかと思う。

そんなこと、できない人なんているの?と。

そこから少し大人になると、

人のしあわせを願うことは、

人の不幸を悲しむことより難しいことに気づく。

人のしあわせから、

自分が持たない、持てないしあわせを妬む気持ちが生まれることに気づくからだ。

人の不幸は、気の毒に思いつつ、どこか心地よさを感じないか?


そういう、見えない悪意やモヤモヤを感じ取るから、

大人になってからの私は、いいことも悪いことも、家族以外の人には言えなくなっている。

人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことが、なんの心の曇りもなくできる人は、

おそらく人と自分を切り離すことのできる、

相対的評価で形成されるこの世の中の価値観に染まらない、極めて珍しい人であり、

本当の幸せを手にできる人。

そして、人を幸せにする第一条件が自分が幸せであることというのが本当ならば、

かれなら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ

というのは正しい見方なのだ。


この言葉は、藤子先生がご自分のお嬢さんに向けたものだと聞いたこともある。

藤子先生が活躍した時代は右肩上がり。

今よりも確実に物質・お金・学力が幸せな人生を保証したはず。

そんな中で、最高の結婚相手の選び方は、

ステータスではなく心の持ち方で選ぶのだということを言っていたのか。


今の私たちは、なんの迷いもなくそうやって人を選ぶことができるだろうか。

私にはまだできない。

だから泣けるという面もあるのかもなあ。
   

私はこれまでたくさん占いをやってもらった。

占ってもらってよかったと思った占い師はふたりだけ。

・手相
・オラクルカード
(オラクルカードが占いなのかという点には
いろいろ主張が別れるが、
ここでは多数派の認識に合わせておく)

このふたりに共通していえることとして

・私の置かれている状況をしっかりときいてくれた

・幸運への現実的な導き方を教えてくれた

もちろん

・自分で調べてもわからないところから教えてくれた

だから、生まれた時の星を読むような人や、

パソコンの画面や本を開くような人は完全にアウト。

本やネット上で得られる情報くらいしか得られない。

…それなら、自分でもできるっての。

それ以来、私は占いに行くのをやめた。

占いなら、自分でやればいいのだから。


特に、自分の生まれた星を見るのは人にやってもらう必要はない。
こちらが最も取りつきやすい。




占い、ひいては人生相談をする目的は

「自分の人生はこれから明るい」ということを保証してもらうこと

にあるはず。

それなら、自分で自分を保証するのが一番。

というより、人の言葉を聞くと、人に影響されてしまう。

占いに行くような人で、占いに行きたくなるような心の状態であればなおさら。

そんな時に、人の言葉はあまり聞くべきではない。

人の影響を受け、ますます事態が悪くなっても、

誰も人は助けてくれないのだから。


****************
あまり、ないとは思うけれども…

これを見た占い師の方。

占いは人の心に影響を及ぼします。

だから、あなたのひとことが

ある人の人生を左右します。

人の言葉とはそれほど影響力のあるものです。

そこまでの責任をもって営業をされているのでしょうか?

カネ目当てで人生を狂わされてはとんでもないし

勉強不足なんて言い訳もきかない。
(本やインターネットがある以上、ある程度の勉強は自分ででもできます)

人の心に影響を与える、責任の重い仕事であるという自覚を持っておいでなのでしょうか?

と、問いたい。

  

このページのトップヘ