きょうこのことを思う

2017年03月

ここ数年報道が下火?になっているものの、

刻々と進んでいる地球温暖化。

海没する国・地域もあるし、

食い止めないといけない…


というわけでもないというか、

気にするのはそもそも地球温暖化ではない

んじゃないかという説。


氷河期がやってくるんじゃないか
http://tocana.jp/i/2017/03/post_12739_entry.html


もちろん、

氷河期が来るかもしれないからといって

今のようなエネルギー使い放題では

温暖化とは違う理由で人間は滅びるだろう。

だが、

人間がこれまで引き起こした温暖化は

結果的に氷河期の寒さを緩和させることになる?

…すると、温暖化が必ずしも悪いともいえない。

そもそも、温暖化も氷河期も、

人間にとって不都合な環境変動にすぎない。

熱くなろうと寒くなろうと地球そのものは生きていく。

私達にできるのは、

地球に合わせて生きていくこと

だろうな。

今、私達は

地球に合わせさせている。

逆だろ。

「死後離婚」

夫と同じ墓に入りたくない

非常によくわかります。

女性のみなさん、
「養われる」という一点で
たくさん我慢してきたことでしょう。
いざとなると、自分は夫の陰に隠れないといけない…
夫にばかりいい思い…
養われていない、自分もお金を稼いできたのならなおさらそう思うはず。

体がある頃夫に従い我慢した。
魂になったなら、もういいですよね。


墓を守る?
墓にあるのは体の残骸と家の名残…つまりモノ。
彼岸には持っていけません。
そんなつまらないものを
何のために守る必要があるでしょう?


「昔からの家制度」を守る?
それは、その中でたくさんいい思いをしてきた人間のいうことです。
そもそも「家制度」だって、人間の文化のどこかで作られたもの。
作られたものは、必要でなければ、壊れ捨てられるときがきます。
夫・舅はその中でいい思いをたくさんしてきたのだから変える必要を感じない。
姑は「私も我慢したんだからあなたも」と、あてにならない。
変えるのは、妻のあなたしかいない。


とはいえ、嫁ぎ先の墓に妥協して入る方法を、私もまずは勧めます。
だって、
墓にあるのは体の残骸と家の名残…つまりモノ。
彼岸には持っていけません。
彼岸では何も持ちません。体さえも。
体から離れれば、どこにだって行けるでしょう。
そもそも「持つ」必要もないのですから。


一方、残ったあなたの子どもは、
あなたのことを、墓で思います。感じます。
あなたも、親のことは主に墓で感じてきませんでしたか?
それが、此岸の限界なのです。
しかも、あなたのことは、
夫と同じ苗字の「あなた」としてしか感じられません。
(これを見ているあなたは婚姻を続けているでしょうから…
離婚・未婚の母等ならば話は別でしょうが。。)
我が子に、自分のことを思ってもらうために
仏壇があり、墓がある。
あなたは、家の墓から遠いところで、
自分のことを思う我が子を見守り、微笑む。
あなたさえその気なら、必ずできます。


私は1ヶ月半、

一切おやつを断ったことがある。

以降、おやつは食べるが、

毎日食べていたチョコレートはやめた。

1年経ち、

茶碗2杯のご飯が1杯の半分になった。

また1年経ち、一日2食でよくなった。

それと同時期に、

¥15000買っていた服も

以前の3分の2くらいしか買わなくなった。


少しずつ少しずつ

お金を使わないで済む道を探し

飾らずに生きる道を探している。



悟りとは、

・欲望
・煩悩
・感情
を一切捨て去った穏やかな境地。

それらは

「捨てるんだ!」と思って捨てるものではなく

古びたものを手放すように

「もういらないな」と思って捨てるもの。

もつことを推奨する物質文明と逆行する

もたないことを推奨する文明。

旅に、たくさんの荷物は持っていけない。

私たちは此岸を、たくさんの荷物を持って歩いている。

だから疲れる。心を病む。

持ち物を、少しずつ手放そう。

彼岸には何も持っていけないのだから。


だから、まずひとつ手放そう。

別に、なくてもいいものから。

寺には、やたらたくさんの賽銭箱がある。

そんなに金がほしいのか?



違う!!!!!!


まあ、確かにお金はほしいけれども。

お金を使って生活していますから。


だが、賽銭箱は

寺の人間のためにあるのではない。


浄財



寺に来たときくらい、物欲から離れよう

…なんて、住職は言っていたが。

わずかでもお金を出すことが

施し

となるという。


私たちは、

人に何かをしてあげて:施しをおこなって

はじめて心の幸せを得られる生き物である。


ほら…

「してもらってばかりじゃ悪いなあ」

という心がどこかでわくじゃないですか。

日頃、求めてばかりの私たちですから、

仏様に、何かしてさしあげることで

幸福を得よう

というわけ。

できることをしてあげる幸福。


だから、

賽銭箱を見るたびにお金を出さなくてもいいんですよ。


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