きょうこのことを思う

カテゴリ: ニュースを考える

最近の若者は
車離れ
海外旅行離れ
酒離れ
○○離れ!
けしからん!

…何が「けしからん」だ。
いいじゃない。

車離れ
そもそもみんなが車を持つようになったこと自体がここ60年くらいのこと。
車を持たなかった時代の方が断然長い。
そんなことは皆わかっているはずでしょう。
だから、ただ元に戻っただけ。
都会なら、車を持たなくとも電車で十分。
田舎だって、実は車ではなく公共交通機関を使うことを求めているかもしれない。
実際、私の地元のバスには
「通勤にはマイカーをやめてバスで!」
と大きく書いてある。
自動車の排気ガスは地球環境を破壊する。
自動車のガソリンは地球の資源を大量に消費する。
車離れは、私たちの住む地球を守ろうとする、自然な流れなのかもしれない。


海外旅行離れ
海外とはどうしても行かないといけない場所なのか?
行って遊ぶだけなら、海外に行く必要がどこにある。
・海外を見ておきたい
・海外でないと味わえないものがある
・現地の人と交流したい
本当に海外に行く必要があるのはそういう人だけであって、
多くの人にとっては必要のないこと。
それに、飛行機代はかつてに比べて安くなった。
「海外に行く」のは、もう金持ちのステータスでもなんでもない。
ステータスがほしいからという理由で、
みんながやっているからという理由で、
ものごとをやるのはもう時代遅れかもしれない。
海外旅行離れは、私達に真価を見極めさせる。


酒離れ
これはタバコでも同じことが言えるかもしれないので
「酒・タバコ」で書く。
酒・タバコこそ、無用の嗜好品の最たるものだと思う。
「ほどほどにすれば百薬の長」だというが、ほどほどにしている人間はどれだけいるか。
現代人のほとんどが「これなら飲まない方がまだ健康的だ」という飲み方なのでは?
「酒を囲んでの会」も無駄だ。
酒を飲まないと言えないこと?
酒を飲まないと仲良くなれない人?
日本は公然と酒に依存させる社会ということか。
酒に頼らないといけないことなんてくだらない。
こんなに酒に頼っているのは日本人くらいなもの。
国際化を気取るなら、私達はいよいよ、酒に頼っている場合ではなくなったということだ。


他にも「○○離れ」で離れていることは、
みんなが憧れるものではなくなった、という側面もあるだろう。
離れられる「○○」は、一昔前の憧れ。
そして、そうして使われるお金は企業の利潤として吸い取られる。
「○○離れ」によってそこからの脱却が起こっている。
これは、大きくなるだけの経済からの転換のはじまりではないか。


唯一「宗教」だけは、離れない方がいい…どころか、
ますます大切にするべきだと思う。
現代は核家族化・個別化が進んでいる。
それぞれやりたいことができる一方、人とのつながりは薄れてきている。
すると、頼れるものはお金だけということになるが…
どんどん貧しくなっている私達に、どこまでそれに頼れるものか。
貧しくなってきている今、人とのつながりの大切さに立ち返るべきではないのか。
その媒介として、宗教があるものと思う。
現代における宗教の役割は、
生きている人同士
生きている人と亡くなった人
をつなぐことにあるのかもしれないな。、

日経新聞ニュース
新成人、昨年より2万人増
酉年、最少
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLASDG31H1W_R31C16A2CR8000/


「産めよ増やせよ」の時代はもう終わっていると思う。

人力で仕事をする時代が終わりつつある。
工場等の機械化はかなり進んでいる。

やがてAIが参入するだろう。

AI参入により、多くの産業が消え、

たくさんの人が職を失う…と言われている。

人口増が高らかにうたわれたのは、人を増やして働いてほしいからだった。

実は国としては、人口がこれ以上増えると困るんじゃないだろうか?

だって、もう人を使って働く時代じゃないもの。

私達庶民も、もうこれからは人がたくさんいたらむしろ困る時代になる。


食糧危機は人口増が最大の要因である

2017年、いよいよ食糧危機がやってくる?

2017年でないにしても、このままではいずれ食糧危機はやってくる。

原因は地球全体での人口爆発

人間が多すぎるから

だというのはよく言われることじゃないのか?

なのに、私達は「飽食の時代」を享受し、貪り食べている。

このままでは、私達は自分たちは自分たちの欲のために互いに殺しあう。

そうなれば、結果的に地球全体の人数は減る。

こんな未来が本当に来るとしたら、やっぱり、今は人間が多過ぎるということ。

いや、そういう未来は実は来ている。

食べものそのものではなく、食べものを手に入れる手段

利権やお金

をめぐって、人は殺し合っている。

人が増えないと産業は発達しない?

お金が回らない?

いいえ。

お金を回すのに人口は関係ない

LINEスタンプやスマホのゲームが

無料配信なのに利益を上げられるのは、

無料配信の中で課金するシステムがあって、

そこで一部の人に課金してもらうから。

これはインターネット界だけでなく、

現実世界でも同じようにすればいいじゃないですか。

たくさんの人からお金を集めるのではなく、

一部の人からたくさんのお金を集める。

インターネットの発達で、悪評はすぐに流れるようになった。

本物しか残らない時代がやってくる。

本物にはお金がかかるもの。

大量消費から良品消費へ、これが資本主義の前進なのではないか?



もう、たくさん人間をつくる必要はない。

むしろ、たくさんの子どもがいることが悪にさえなるのかもしれない…というのはいき過ぎた推測か?

若者よ。

「結婚は?」「子どもは?」なんて言われても、

あなたがひとりで生きていきたいならしなくてもいいんだよ。


制服・ランドセル反対派は結構多い。




私はランドセル・制服はあった方がいいと思う。

ランドセル賛成の理由。

①ランドセルは子どもを守る
父が言うには、
ランドセルがあるがために
車にひかれずに済んだり、
転んでも頭を打たずに済んだりする
といったことが多々あるという。
(ランドセルを背負っていない子どもが後頭部を打って…なんてことがあったとか)
ランドセルはよろいのように子どもを守っている。
防犯ブザーだって、カバンの中よりランドセルのホルダーにひっかける方が活躍する。


②実はランドセルの方が安上がりじゃないのか
重い教科書や道具を入れて毎日背負うかばんを6年間買い替え続けるとしたら、
ランドセルと同じくらい、あるいはそれ以上の出費にならないか。
小学生は大人と違って行動的だし、丁寧にものを扱うことができにくい。
考えてみてください。
6年間使える子ども用品
なんて、どれだけありますか。
ほとんど、長くても3年で処分でしょう?
丈夫なつくりのランドセルは、6年間子どもの学習を支えてくれる。


③家庭間の格差が出にくい
②に関連する。一番はここだと思う。
「毎日のように同じ服を着ている」ということは、格好のいじめの対象になる。 
ランドセルで通わなくなると
「ボロボロのかばんで通学している」という、新たないじめの要因が生まれないか。
一方「ボロボロのランドセルを背負っている」子どもがいじめられている事例はどのくらいあるのだろう。
実は少ないのではないか。
いじめられているボロボロランドセルの小学生は、
ボロボロのランドセルのせいでいじめられている
のではなく
いじめられているせいでランドセルがボロボロになった
のではないだろうか?
今「高学年になってボロボロになったからランドセルを買い替えませんか」という、ランドセル業界の宣伝の仕方もあるという。
この事情を考えると、ボロボロのランドセルで通う小学生は多いと思われる。
人はマイノリティをいじめるもの。
弱いものをいじめるもの。
ボロボロのかばんは、新しいものを買えない少数派の弱者とみなされ、いじめの対象となるが、
ボロボロのランドセルは、特に高学年となれば比較的多数派となる。
お金持ち御用達の私立校でない限り、
ランドセルのブランドはコミュニティにおいてさほど重要視されない。
大事なのは、ランドセルというアイテムがあること。
日本の貧困は、途上国のように衣食に困るタイプとは違って、多くは
「相対的貧困」
つまり
「みんなと同じ生活ができない」
ということ。
「ランドセル」というアイテムは、「みんなと同じ」という安心感をもたらすのではないか。


同じことは、制服でもいえる。
ランドセルを「制服」に変えれば、そっくり同じことがいえる。
中学校の制服・ジャージで街中を闊歩する中学生(高校生も?)も案外多い。
何より制服は冠婚葬祭でも使えるスグレモノ。
ただし、制服には、ランドセルからはなくなりつつあるジェンダー問題があるが。


本当に問題視するべきは、
・ランドセルや制服の購入を渋るほど貧しい人がいること
・ランドセルや制服以外のものが高値であること
だと思う。


制服だと頻繁にある「リユース品」制度が、ランドセルや他の学用品でももっと幅広くできないものか。

そもそも、教科書やドリル類は、本当に買わないといけないか。
アメリカのように公用化してはいけないものか。

子どものもので大儲けするなら、
子どもに、どれだけでもお金をかけていい人をターゲットにしたらいい。
「最低限の生活保障」のために学校の読み書きがあるのなら、
「最低限」の人を必ず守らないとダメ。


こんなこと、少子化のために予算を削減しようとしている行政には
絶対に望めない。

入学用フリマ
みたいなものを地域レベルで作るか…

年明け早々、異国のテロのニュース。

何の罪もない人が
テロリズム・戦争により死んでいく。
そういう暴力の犠牲になるのは
決まって一般庶民。


テロや戦争で人を殺す人間は
そこにためらいはないのだろうか。

ためらいはあるも、やらざるをえなかった人間もいるだろう。
では、ためらいのない人間は?

おそらく一般市民を
「スンニ派」「フランス人」といった
大きなグループでまとめ、
十把一からげに同じ人間ーー
思いやりがあるか、趣味が同じか、
家族はあるか等の個性には全く目を向けずーー
敵である「スンニ派」「フランス人」とみなし、
殺しているのではないか。
それで殺されていくのだから
たまったものではない。


テロリストは非人道的?
確かにそうだ。
だが、他人事ではない。
私達にも、十把一からげに人間を捉える心はないのか。
あなたを傷つけない男はいるのに
「男なんてみんな乱暴」
あなたの話をしっかり聞いてくれる大人はいるのに
「大人はわかってくれない」
個人の心を見ないあり方、
それがテロリストの心。

もっとも、それは自分を守るためにあるものだということは
誰もがわかっているはずだけれども。

テレビがおもしろくないなら、

テレビを見なければいい。


おもしろいテレビがないなら、

つけている必要はない。

どうしてテレビをつけていたいんだろう。

惰性?

それなら時間と電気代の無駄。

人の声がほしいから?

それなら、身近な人と会って話せばいい。



テレビ局はわざと視聴者の喜ばない番組を流した。

そこに込められたメッセージ↓

家族団らんをしなさい。

テレビを見ないで、家族でお話をしましょう。

そこから、家族旅行の計画が出てくれば万々歳!

スポンサーがうるおい、我々もうるおう…


これは何も正月だけではない。

最近は、いよいよ本格的に

国民をテレビから離そうとしているに違いない。

画一的なテレビから、

多様性をもつインターネットへ。

中途半端に遠い世界に憧れさせるより、

身近なところでの生活。

このページのトップヘ