きょうこのことを思う

カテゴリ: 学ぶ・働く

楽しく読んでいるブログでこんな疑問。

そういえばどうしてなんだろう。

進化論について。

思えば進化論が出てくる前、

キリスト教社会では、

人間は神様が作ったもの、

はじめに男ありき、男の肋骨から女が作られた…

というわけだが、

現代科学では、

受精卵からできる人間の形は本来は女性型で、

そこに男性になる作用が加わって男性になる…

その作用が十分でない物の代表なのが

トランスジェンダーやゲイと言われる人たち

ということ。

時代の価値観、教育で、見方は違うものになる。



進化論、どうしてネコ型人間がいないんだろう。

現在の経済成長は

安い労働力を使って製品を大量生産することで生まれてきた。

はじめは、日本人も安い賃金で働いた。

日本が豊かになってからは、

日本より物価の安い国で

これまでと同じように大量生産。

そういう国も豊かになってからは…

どこが低賃金労働力を引き受けるというのだ。



だから、現行のシステムがある以上

必ず誰かが安い賃金で使われるもの。

この世の中は、必ず誰かが苦しんだり

損をしたりするようにできている。

古代ギリシアの民主主義だって、

実際はその恩恵に預かれない奴隷に

支えられていたんでしょう?



しかし、そのやり方では

もう行き詰まりが見えつつある。



大量生産・拡大路線という方針には、資源という限界が。

賃金の安い国に作らせる方針では、そういった国がやがてなくなるという限界が。

早く方向転換しないと、取り返しがつかなくなるのでは…?

「たくさん、安く」ではなく、

「ホンモノだけを」生み出す。

そういう方向に向かっていかなければならないのではないか。


平安時代の女性は
自分にとって不都合なことであっても
それを運命として受け入れるのだと
聞いたことがある。
平安時代が、
女性に財産権はないし、
そもそもいろんなことは
身分ーーどういう家に生まれたか、決まる時代だった
ということに思いをはせると、
なるほど納得できる。

時は流れて現代。
努力することで
かなり自分の運命を
切り開ける時代になった。

そういう時代の中で
自分のあり方や
生き方を
どういうものだと見出すのか。
どういう生き方をするのか。

そのことを考えるのが
今を生きる私たちに
必要なことであり、
古典を読む意義のひとつであると思う。

「好きなことをしなさい」
「好きなことをする」

ということが言われる。

当たり前だが、その理由は、

好きじゃなきゃ極められないから。

仕事には当然のように質を求める。

質を高めるのには血のにじむような努力がある。

普通の状態なら、そんな血のにじむような努力なんて、

辛いからやがてやめてしまうもの。

それでも続けられるのは、やはり

好きだから、情熱を持っているから

でしょう?



林修氏のように、

自分では好きだと思っていなくても

成功する人もいる。

そんな林氏でも、私としては

「好き」なことを極めたのだと思う。

この人が好きなことは、

知識を得ることや他人に勝つこと

であって、

その手段として予備校講師があるのだと思う。



堀江貴文氏の言うことも、ある意味もっともかもしれない。

しかし、そういう方向に社会が向かっていって、

日本の極め抜いた

寿司やそばといった食べ物

包丁や建築のような技術

という、上質なホンモノが消えていくということは危惧すべきことだと思う。

ホンモノの技術は長く使えるものを生み出すし、

ホンモノの食べ物は長く体を支える。




応援すべき(=お金を出すべき)はホンモノだし、

自分たちの目指す道もホンモノ。




こんな書き方をすると、

現在のところホンモノの道に進めていない人を傷つけるかもしれない。

そういう人は、ホンモノを守ればいい。

ホンモノと感じるものだけにお金を出す。

そこから始めましょうか。

小さな頃に

・いじめられた
・親とうまくいかなかった

そういう経験が、人から自信を奪う。

その経験は、大人になっても潜在意識として残り

自分を苦しめる。


それで幸せ?

きっと、幸せじゃない。

それでいい?

頭ではいいと思っていても、心はそう言っていない。


では、どうすればいい?

まず、人生の一番最初に自信を奪ったできごとに戻る。

そこで、受け入れた嫌なことに「NO」と言う。

「どうしてそんなことをするの?」と聞く。

聞いたら「わかった。でも、私にぶつけるのはやめて」と言う。

(上記の過程で、涙が出たり、つらい気持ちになることがあります。
それでいいのです。デトックスです。
だから、そこから逃げては効果がありません。)


そして、自分はどうありたいかを考える。

この時、

・自分が好まないこと
・自分にはできないこと

を、好まない、できないと認める。

好まなくても、できなくてもいい。

「努力しますけど、できなかったらごめんなさい」でいい。

そのうえで、楽しくなることをやる。

自分には何ができるかを考える。

できることは、ほんの少しのことでいい。



人は幸せになるために生まれてきたわけではないけれど、

幸せだから生きていけるのではないだろうか。

そして、自分が幸せだから、他の人を幸せにできるのではないか。

自分に嘘をついたり、自分を責めたりするのを、

ほんのわずかな間だけでもやめると、

一気に生きやすくなる。



伯母との対話をここにメモし、公開する。

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