きょうこのことを思う

カテゴリ: 心

私は1ヶ月半、

一切おやつを断ったことがある。

以降、おやつは食べるが、

毎日食べていたチョコレートはやめた。

1年経ち、

茶碗2杯のご飯が1杯の半分になった。

また1年経ち、一日2食でよくなった。

それと同時期に、

¥15000買っていた服も

以前の3分の2くらいしか買わなくなった。


少しずつ少しずつ

お金を使わないで済む道を探し

飾らずに生きる道を探している。



悟りとは、

・欲望
・煩悩
・感情
を一切捨て去った穏やかな境地。

それらは

「捨てるんだ!」と思って捨てるものではなく

古びたものを手放すように

「もういらないな」と思って捨てるもの。

もつことを推奨する物質文明と逆行する

もたないことを推奨する文明。

旅に、たくさんの荷物は持っていけない。

私たちは此岸を、たくさんの荷物を持って歩いている。

だから疲れる。心を病む。

持ち物を、少しずつ手放そう。

彼岸には何も持っていけないのだから。


だから、まずひとつ手放そう。

別に、なくてもいいものから。


私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません


だからお寺に行く必要はない…

なんてとんでもない。



亡くなった人が、本当に存在を消してしまうのは、

人から思い出されなくなった時。

「千の風になって」の歌詞の内容が信じられない時。

あの兼好法師も、
人の亡き後何が悲しいかというと、

その人の生きていた痕跡が何もかもなくなってしまうこと

だと述べている。

亡くなった人を思い、

自分をこの世に作ってくれたご先祖に感謝するために、

お墓があり、宗教があるのだ。

私たちが今こうしてあるのは、自分の力ではない。

そう、I was born

だから、自分をこの世に存在させてくれたご先祖を思うことは必要なこと。

それは、自分を振り返ること、

自分を強くすることであるのだ。

自分はこの世にひとりではないということを思うことが、

どんなに人を強くするか。


現代日本人の心が荒んでいるならば、

(少なくとも、自殺者が変死を含めず(他国では変死を自殺に含めている)年間3万近くというのは荒んでいるといえると思う)

その原因のひとつは、

日本人が宗教という心のよりどころを忘れたからだと思う。


お墓は、宗教に立ち返るためのツール、スポットとして存在する。

本当に「千の風」になった人を感じられるならばそれがいいかもしれないが、

まだ私達には難しい。

そこで、お墓が存在する。


時がもっと経って、私達が、お墓を要することなく亡くなった人を感じられるようになったら、

宗教は、死生観は、どうなるんだろう。

「宗教離れ」が進んでいるように感じる。

お寺を信じなくなっている。

これはとても危険なこと。

お寺は
・私たちのルーツであるご先祖とのつながりを作ってくれる

・親戚や学校・職場と違う角度での人とのつながりを持てる

寺離れとは、人間の分断化。

人はひとりでは生きていけないのだから、

この流れに乗ってしまうと「死」が待っている。


檀家制度は江戸時代にできたもので

元はキリスト教徒ではないことを寺が証明するためのものだったそうだが、

コミュニティづくりに大いに一役買っているわけだから

徳川はうまいことやったわけだ。

実際、250年近く戦争をしていないのだから。

だけど、

現代社会において、宗教の求心力は脆弱になっている。


宗教団体は怖い…
搾取される…
という思いを抱いている人は確かにいるわけだし。


それならポイントはひとつ。


カネ


・やたらと羽振りがよくないか?
・法外な金額をふっかけてこないか?
・しつこくお金を払うことを求めてこないか?


そんな宗教ならアウト。

よく考えた上で、お別れを告げましょう。

そうでないならば、別に毛嫌いしなくてもいいじゃないですか。

むしろ、積極的に遊びに行ったらいいのでは?

お坊さんと仲良くなろう。


このお彼岸は、お寺をしっかり見る格好のチャンス!

いいお寺といい関係を築き、現代を生きましょう!





雑談が盛り上がるか。
話していて楽しい、心地よいか。
あまり表だって言われない気がするが(気のせい?)
人生を送るにあたってのパートナー(未婚。既婚を問わず伴侶・友人・仕事関係)を選ぶにあたって、
それは非常に重要なこどだと思う。
だから、雑談が苦手な人は人づきあいに自信が持てなくなる。
人づきあいにおいて大切なことはほかにもあるにもかかわらず。


雑談が苦手な人は、
相手の話を「うんうん」と聴いていればいい。
なんて嘘。
話好きでも、相手がただ話を聞いているだけというのは退屈なもの。
まして、相手が無理して話題を見つけて話している場合、
黙って聞くだけの相手というのは大きなストレスになる。

正確には、「うんうん」と聴いていればいい、というのはおまけのようなもの。
本当にやるべきは、「訊く」―そう、質問すること
特に、相手が話し始めてからは、「訊く」ポイントを相手の話の中から探す。
そこで「うんうん」を使う。
相手の話が切れたら、あなたの本領発揮。
見つけた「訊く」ポイントを使って質問だ。
ただし、「○○って、~~~~~~なの?」という、
確認のような質問はダメ。
答えが「うん」なら、そこで終わってしまう。
相手の話を掘り下げるのだ。
その過程で相手の興味・関心をつかめたらしめたもの。
思う存分話してもらおう。
話し終えたら、相手は、やがて、あなたを好きになる。
なお、このやり方をしているうちに、あなたからも話したいことができてくるかもしれない。
その時は、相手の話に区切りができた時点で話し始めればいい。
そこで話が切れた場合は、また「訊く」のだ。


もし、何を訊いても話が弾まなかったら
そのときは、あなたではなく、相手が悪い。
相手が、他者の話など聞く気もない自己中心的な人間か、
残念なことにあなたと話すことに興味がないのかは定かではないが、
言えるのは、
あなたの貴重な時間を割くべき相手ではないということ
仕事など、必要がある相手なら、必要なときだけの辛抱。
そうでなければ、こちらからさようなら。
人生は短い。時間は有効に使うべきだ。

恋愛結婚が主流になって、


自分の気持ちを大切にできるようになった


といういいことができた反面、


あまりにも恋愛にこだわりすぎて動けなくなっているように思う。


その結果、結婚に対して


構えるようになってしまって、


結果、未婚者が増えた



なんてことがあるのでは?


確かに金銭的な問題もあるのでしょうが、


若者の気持ちの問題もあると思う。





みんな恋愛結婚にこだわりすぎ。


お見合い結婚、いいですよ。


最も恐るるべきは、


老後ひとりでいることだと思う。


人はひとりでは生きていけないのだから。

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