きょうこのことを思う

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いじめはなくならない。



「伝説の教師」(主演:松本人志)のことばが、本当にそのとおりだと思う。

『いじめはな必要悪なんや!
いじめを無くす?
あんな楽しいもん無くなるわけないやろ!
いじめが苦しかったら誰もやらへんやろ!』


悪口を言うこと、
誰かをおとしめたり仲間はずれにしたりすることは

楽しいでしょう?

いけないと思いつつ、

いや、いけないと思うからなおさら

楽しい。


そして、いじめは連鎖する。

強い者が弱い者をいじめる。

強い大人が弱い大人をいじめる。

弱い大人は子どもをいじめる。

「いじめはいけません」と言う大人が

堂々といじめをやっている説得力のなさ。



いじめを本気でなくすなら、

スタートから変えないと。

「いじめは必ずなくせる」というこれまでの性善説では、

永久に目的は達せられない。

「私たちには人をいじめたい気持ちがある」
「自然の状態では、必ずいじめが起こる」
この前提からはじめないと、

永久にいじめはなくならない。

前提が変われば、対策も自ずと違うものになるはずよ。



そんなこと、本当は誰もがわかっているんじゃないのか。

わかっているが、いじめの快楽を失いたくないから、黙っているのか?

幸せに生きるには

自覚悟

がいるらしい。

自分の心が自分でわかるということ。

はじめて聴くことばのようだが、

私たちは実はバラバラに使っている。

自覚…自分でわかっている

覚悟…これだ、と揺るぎない気持ちでいる

このふたつは「自覚悟」を切り離して使ったもの。

自分のことを自分でわかり、

これだ、と決めて揺るぎない。

何があっても、自分の心が決めたことなら揺るぎない。



静観自得(じょうかんじとく)

静かに自分を見つめ、自分を理解する

…このことはうろ覚えだが、

自分の道を決めるにあたって、自分を見つめ、自分を理解する

というのは、先の「自覚悟」と関連する。


自分を見つめ、

自分を理解し、

決めたことを貫く。

これが、幸せに生きる方法なのか?


以上が、先日お坊さんから聞いた話。

確かに間違いないのは単語のみ。

私たちの悩みの多くは人間関係にある。

人間関係がよければたいていのことはがんばれるし、

やりたいことをやるのでも、人間関係がうまくいかないと

そのものごとまでもうまくいかなくなる。

よりよく人間関係を築くには?

人間関係がうまくいかなくなるもとは、

「好き・嫌い」という感情。

「好き・嫌い」で考えると見失う。

(そりゃそうだ。

考えてみたら、ものの見方ですから。

好きだったところが嫌いなところになる、

というのはよくある話です。)

何十億人といるなかで

知り合った

同じ空間に居合わせた

何かしらの接点を持った
(ブログを読んでくださるのだってそう)

というのは

よっぽどの縁

だということ。

人と人は縁あってつながるもの。

自分たちの力だけでどうこうできるものではない。

それを、自分の感情でどうこうしようとするなんて。

お坊さんの講演会に行ってきた。




私たちの今は「中今」(なかいま)

中があるなら、先があり後がある。

先を生きた人の今、

これからを生きる後の人の今。

先を生きた人:先祖の今と、

これからを生きる人:子孫の今の間に

私たちの今はある。

私たちの今は、まさにこの時だけれど、

それは、私たちで完結するのではなく、

つながっているのだということ。

だから

敬上慈下

上:優れた人、先輩を敬い、

下:後輩をいつくしむ
(先輩、後輩は講師の先生のことば。

本来は、優れた人ならば後輩、年下の人のような目下の人でも敬うべきだという教えらしい。

私は、長くやっている人、年上の人はそれだけで尊敬できるものだと思う。

山崎ナオコーラ氏(PHPにそういう文章を載せていた)と同じ意見。

年上の人を敬い、年下の人にはやさしく。

それが、角の立たない、人間関係の基礎だ。

好きな人じゃないと結婚しない

これが今、結婚にあたって言われること。

ひと昔前は

結婚する理由が「好き」だなんてとんでもない

だったらしい。

私はその価値観を理解するし支持する。



親族にもなるというのに、

「好き」なんていう簡単に移ろう気持ちを基準にするなんて不安すぎる。

それより、家柄とか収入のような、

はっきりとわかるものの方が安全だと思う。

家柄なんていうある意味自分で決められないものに頼る?

家柄はその人の生活、価値観の形成を左右する。

生活や価値観の違いは衝突を生む。

ある意味、平和に暮らす知恵だったのではないか?

収入だって移りゆくものではあるけれど、

金銭感覚だって価値観のひとつ。



何より私としては、

価値観が合わない相手とは、

今は好きであっても

時が経つと嫌いになっていく

しかも好きだったところがそのまま嫌いなところになる

という悲劇が起きやすいと思う。

しかも、感情でつながったふたりの別れは泥沼になりやすいのでは?

その傷に耐えられる人ならいい。

しかし、誰でも耐えられるわけではないから、

誰しもにとっていいことではない。



性格、価値観が合って、

この人との結婚生活で

自分の求めるものを得られるのならば、

結婚する時に燃えるように好きでなくてもいいじゃない。

そのうち好きになるし

そうならなくても穏やかに暮らしていける。

みんながみんな恋愛体質になんてならなくていいんだ。

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